Act1.

  
25歳になったばかりのワタシは一人、サンフランシスコ空港に降り立った。
西海岸と言えども2月初旬のサンフランシスコは肌寒かった。

その頃のワタシは画一化された日本の社会を毛嫌いし、自由なアメリカに絶大なる憧れを抱いていた。
日本をつまらない国だと位置づけ、とにかく早く脱出したいと考えていた。
でも本当は単に自分の将来に対する不安から逃げたかっただけなのかもしれない。
とりあえず自分に6ヶ月という執行猶予を与え、その間に何でもいいからいろいろなものを見てみたかった。
1人でアメリカ大陸を横断してみたい。それは自信になり、きっと自分の何かが変わるはずだ。
そんな期待を胸に秘めた旅だった。

アメリカには「グレイハウンドバス」という長距離バスが大陸を網の目のように走っている。
中学生の時、英語の教科書にでてきたそれは
「アメリカを旅するならグレイハウンドバス」と、しっかりワタシに印象づけていた。
そして今回、そのグレイハウンドバスでアメリカ横断するため
何カ月も有効なバスのチケットを日本で購入していた。

にもかかわらず、アメリカに着いて一週間、ワタシは知り合ったオーストラリア人の
ジョン・バセットからあっさりと自動車を買ってしまったのだった。

ユースホステルにはワタシのような貧乏旅行をしている様々な国の人々が集まってくる。
キッチンでは皆、おもいおもいの食事を作り、談話室ではそれぞれの旅の話で
盛り上がったりしている。 そして、壁には掲示板があり「旅のパートナー募集」
「ロスまで行く人いませんか?ガソリン代シェアしていっしょに行きましょう」「バイク売ります」
などなど、いろいろなメモが貼ってある。

その中にジョンの車、日産の78年型ダットサン ワゴンタイプの写真と
「1200ドルで売ります。ほしい人は私とコンタクトを...。」というメモがあったのだ。

自動車でアメリカ大陸横断っていうのもいいな。
何もない大地を遙か遠くの地平線に向かって、タバコをくわえながら
自動車を運転する自分を思い浮かべてみる......。 悪くない。

..とは言え、運転には正直あまり自信がなかった。20歳で免許は取ったものの、
以来ほとんど車に乗った記憶がない。しかもここは左ハンドル右側通行のアメリカ....。

とりあえずジョンに声をかけてみた時点では、ホントに買うつもりなのか、
本気で自動車でアメリカ大陸横断するつもりなのか、自分自身よくわからなかった。
しかし、20分後にはジョンにのせられ、すっかり買う気になっていた。

さっそく次の日お金を用意した。彼は数枚の書類に必要事項を書き込んだ。
ここに登録に必要な全ての書類がある。手続きが済めば、車は正式に君の物だ。
オッケー、オッケー。細かいことなど何も考えず、
お気楽に書類とキーを受け取ると1200ドル支払った。

その日の夕方、ワタシはアメリカに来て初めてチャイニーズを食べた。
食べ終わるとお店のおばちゃんが器をかたづけながら、お菓子をひとつ置いていく。
フォーチュンクッキーだ。立体的に三角に折れ曲がったお煎餅で、中におみくじが入っている。
割って取り出した紙には、こう書かれていた。

You will have good luck and overcome many hardships.
「あなたには多くの困難を乗り越える幸運がある。」

まさしくその通りだった。
これは、その後半年間にわたる旅をみごとに言い当てていた。
確かに無事乗り越えられたのだが、実に多くの困難が待ち受けていたのである。


翌日、ジョンはオーストラリアへ帰ると言ってユースホステルを出ていった。

彼が去って数日後、そろそろサンフランシスコを出ようと考える。
いよいよ車を運転する時がきた。
ワタシはとりあえず保険に入るためAAA(トリプルA)へ行った。
(AAAとは日本のJAFのようなところで、保険なども扱っている。)

しかし、住所不定では保険に入れないとあっさり追いかえされてしまった。

こちとら旅行者なんだよ。住所なんてあるわけないだろ...。

でも困った、どうしよう。しばし悩んだが、住所なんてどうせ調べられやしないだろう、
ユースホステルの住所でも適当に書いておけばいいや、と開き直り
4、50キロ離れた隣街、ユースホステルもAAAもあるサクラメントを目指し、
サンフランシスコをあとにした。

だが数時間後、
サクラメントのユースホステルの住所が書かれたメモと国際免許証、
そしてジョンから受け取った数枚の書類を持ってAAAに行ったワタシは愕然とした。

「車の登録証はどこですか? 
それが無ければ保険はもちろん、名義変更もできませんよ。」

「え?....」

ジョンはあの時こう言った。
オレゴン州のAAAに行けばオレの知り合いがいる。
書類は全てここに揃っているから後はその彼がやってくれる。
だから何も心配いらない。

書類は全てここに揃っていると確かに言った。
エブリシング ガナ ビー オーライト だと...。

真冬のオレゴン州なんてきっと豪雪地帯だ。しかも700キロも離れている。
ペーパードライバーのワタシがいきなり行くにはムリがある。
別にAAAはアメリカ中どこにでもあるんだから、危険を冒して遠くまで行く必要はないよな。
書類は全部揃っているわけだし、大変でも自分で手続きをすればいいことだ。
あの時、彼の話を聞きながら勝手にそう考えつつも、
話を合わせてオッケー、オレゴン州ね。と気楽に答えた。

しかし何故、遠く離れたオレゴン州でなければいけなかったのだろう、
本当に理由は知り合いがいるって事だけだったのだろうか?
そう言えば、サンフランシスコのAAAは良くないから
やめたほうがいいとも言っていたが、それは何故だ?
彼が車を売った翌日にさっさと消えてしまったわけは...。

そんな様々な疑問を確かめる術はもうどこにもない。
そして車の登録証もない...。

ジョンはワタシをだましたのだろうか?


名義変更も出来なければ、保険にも入れない...。
悪夢のような現実と他人の車が目の前にあった。


頭の中は真っ白だった。
車に戻ると、しばらくの間ジョンから受け取った書類を見つめていた。
何をどうすればいいのか、見当もつかなかった。
ジョンの言うとおり、オレゴン州にいけば名義変更できるんだろうか?
いや、そんなわけはない。なにしろ一番大事な車の登録証がないのだから.....。

状況は最悪だった。盗難車だと思われても仕方ないのだ。
そして保険にも入れないのに、もしも事故ったら...。

アメリカにきてまだ2週間ほど...。これからいったいどうなってしまうのだろう...。
それから一日中、ソワソワしていた。目と頭と手と足がバラバラに動いていた、そんな感覚。
夕方、ワタシのアメリカでの住所にしようと考えたサクラメントユースホステルになんとか辿りつく。
その晩、同じように安く旅をしているバックパッカーのオーストラリア人カップルと
話をしたのだが、どうもかみ合わない。気分はますます落ちていった。

次の日、シティホールなどを見学に行ってみたものの、心ここにあらず。
夕方になっても立ち直れないまま、ボォーっと運転をしていたワタシは、
赤信号を見落として交差点に突っ込み、左側から出てきた車と危うく衝突しそうになった。
ギリギリで接触をまぬがれたワタシはしばらく走って車を停めた。
躰がガクガクしていた。大きく息を吸い、そして吐くと
ハンドルを握ったまま顔をその中央に埋めた。

何をやっているんだオレは...。
最悪な状況は昨日と少しも変わらない。
それは今後、この旅が終わるまで...、この車に乗っている限り、ずっと変わらないだろう。
だからといって こんな気持ちのままでいたら、いつまた今のように
事故るかわからない...。それなら...

大事なのは気持ちだ。気の持ちようだ。
悩んでこの車が自分名義になるのならいくらでも悩んでやる。
しかしそうはならないのだ。
どうにもならないことをいつまでも悩んでいたってしょうがない。
要は事故らなければいいんだ。警察の厄介にならなければいいってこと。
安全運転さえしていれば何も問題はないはずだ。
そう、このまま旅を続ければいい。
保険がなくたって、ニューヨークまでいけるさ。うん、きっと大丈夫だ。

ワタシは無理矢理そう自分に言い聞かせると
力強くアクセルを踏み込んだ。

 


ジョン・バセット(右)と相棒。

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